親を看取るということ
こんにちは。
プロファイリング子育てインストラクターの
小野塚 美知穂です。
本日も当ブログにお越しいただき
ありがとうございます。
3月22日 午後8時57分
母が静かに息を引き取りました。
突然の危篤の知らせ
緊急帰国
昏睡状態の母との対面
そして。。。
翌日の夜、病院からの緊急連絡。
冷たくなった母を家に連れて帰り
そのまま通夜、葬儀、初七日法要と
ノンストップで動き続けた1週間。
ドキュメンタリーフィルムを再生する様に、
今ようやく自分の中で、母が他界する前後の濃密な時間を振り返っています。
入院当初から
ドクターにはかなり厳しい見通しを告げられていた様でしたが、
父はどうしても諦めきれなかったのでしょう。
最後の瞬間まで、
「目を覚まして、がんばって」と呼びかけていました。
病院からの緊急呼び出しの電話が20時10分。
車で駆けつけたのが20時半ごろだったでしょうか?
それから瞬く間に血圧の数値が低下していき、
私は、最後はもう言葉がなく、全く力の入らない
母の手を握りながら、ただただ涙が頬を伝いました。
・亡くなる前は水分を体内で処理できなくなり、食べられなくなったからといって、強制的に水分や栄養を入れていくことはかえって本人がつらくなる要因を増やしてしまう。
・最後の最後は、身体を脱水気味にして枯れるように亡くなるのが、本人にとっては一番楽である。
こうした「在宅療養に関する記事」を事前に読んでいた私にとっては、酸素、点滴、様々なモニターに繋がれ、かろうじて呼吸をし、手指にむくみが出はじめていた状態の母の姿はかえって辛く、とても苦しそうに見えて胸が詰まりました。
この日の朝、仏壇の祖父母の遺影を見あげ
「おじいちゃんおばあちゃん、ただいま。私も間に合ったよ。
苦しそうだから、もう迎えにきてあげて」
と祈ってしまったのは、母を楽にしてあげたかったからです。
実際、昼間に訪ねた時、痰が絡んでとても苦しそうな様子を
見せたことがありました。
口の中を傷つけてしまって血が気管に入ると、危険なため看護師さんも恐る恐る痰の吸引、口腔内のお掃除をしてくださいました。
もう体の機能のあちこちが停止し始めていて、限界だったのだろうと思います。
少しでも長く生きていてほしいという父の想いも痛いほどわかる反面、酸素供給を続けること、点滴を続けることが、本当に母のためなのか?そんなことを考えさせられました。
祖父母ともに86歳で他界。
母も同じ86歳でした。
祖父の命日が4月5日
祖母の命日が3月22日
桜の季節になるたびに、祖父母と母のことを思い出すでしょう。
よくがんばった。。。
と主治医の先生も目を赤くして、最後まで本当に丁寧に見送ってくださいました。看護師さんたちも本当にあたたかく優しい対応で、救われました。
祖母に呼ばれるかのように、祖母と同じ日に静かに旅立っていった母は家族全員に見送られ幸せだったのだと思います。
今日はこの曲で いのちの歌
本日もお読みくださり
ありがとうございました。
今日も素敵な1日でありますように。
ごきげんよう♪
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