祖父の思い出
こんにちは。
プロファイリング子育てインストラクター
小野塚 美知穂です
本日も当ブログにお越しくださり、ありがとうございます
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今日は息子のフットボール初試合でした!
サンディエゴに長く住んでいても
意外と行ったことがないエリアはまだまだあり
今回の試合会場となったEl Cajon(エルカホン)は初めて行く場所。
最近はリトル・バクダットと呼ばれるほど
中東からの移民が多いエリアだそうです。
内陸部だけに、とにかく暑い!!
うちを出るときは朝肌寒いくらいだったので、
気温差にびっくりでした。
初めての試合前、
朝から集中力を高め気合入りまくり!!
な息子を見ながら
「あーこの子はいったい誰に似たのかしら?」
と思ってしまいました。
私は子供のころとても運動が苦手でしたし、
夫は水泳&弓道と学生時代それなりに運動は
していたようですが、アニメや映画好きで
決してアスリートタイプではありません。
健康のための運動というレベル。
朝食の支度をしながら
ふとイメージが浮かんだのが私の祖父。
*細マッチョ
*トレーニング好き
*気持ちが強い
*世話好き、親分気質
*きれいずき
*無駄遣いは一切しない
ふと思いつくだけでも、結構共通点があります。
んー似てるかも?!
3歳から18歳までの間、
私は母方の祖父母と同居の三世代家庭で育ちました。
幼い時は、こたつに入って、祖父の膝の上で
時代劇を一緒に見たり、みかんを食べたり。。。
小学校1年生の時は、学校まで少し遠かったので
毎朝、祖父と手をつないで登校していました。
毎年お正月準備で、
家の庭先で「お餅つき」をしていた時も司令塔は祖父。
田舎から出てきたばかりの青年たちの面倒を
見ていたこともあったそうで。
餅つきの時は、
祖父のことを父のように、兄のように
したうおじさんたちが
いつも大勢お手伝いにきてくれて賑やかでした。
思春期、母とぶつかってばかりいた私。
大学進学が決まり、私が上京するとき、
子離れできてない母は、オロオロと泣いていましたが、
「泣くな泣くな。戦争に行くわけじゃない。
勉強しに学校に行くだけじゃないか。」と
母をたしなめ、思い切り勉強してこいと
送り出してくれたのも祖父でした。
若い頃の戦地体験を持つ祖父は、
今思い返しても
肉体的にも精神的にとても強い人だったと思います。
そんな祖父が体調を崩して入院したのは、
社会人になりたての頃。
出張先の高知から、実家の北九州まで
お見舞いに立ち寄った時
「孫娘が会いに来るから、身だしなみを」と
入院中のベッドで電気シェーバーで
ヒゲを剃ろうとして目が回ってしまった。。
という話を、看護師さんが教えてくれました。
そしてこれが最後のお見舞いとなってしまいました。
祖父が亡くなったのは4月初めの桜が満開の頃。
私にとっては、身内の初めての死。
今思い返すと恥ずかしいほど。。。
公衆の面前でわんわんと泣いて泣いて、
泣きまくりました。。。
泣きやまねばと思えば思うほど、涙が止まらず。
涙が枯れるほどなくって、こういうことなんだ
と思いました。
亡くなってからもう20年以上。。。
ずいぶん長い時間が経ちました。
でも、春のお彼岸の時期や、桜の季節が近付くと
いつも祖父のことを思い出します。
私の結婚式も、
ひ孫(息子)の顔を見せてあげることも
生きている間には叶えてあげられなかったけれど、
いつもどこかで見守ってくれている、
そう思っています。
大好きだった祖父の魂は、
もしかしたら息子の中にある?
なんてちょっと思ってしまった朝でした。
そういえば
息子が5歳くらいの時
「マミィ、死んじゃった人が行くお部屋と
これから生まれる赤ちゃんが待っているお部屋って
トンネルでつながっているんだよ。」
ととってもスピリチュアルな不思議なお話を
してくれたことがありました。
生まれ変わり?なのか
DNA 的隔世遺伝なのかわかりませんが。。。
命が繋がっていくって不思議!
そして
とっても神秘的なことだなーと
久しぶりに大好きな祖父との思い出を
振り返りながら
なんだかとても幸せな気持ちになれた土曜日でした。
皆様、良い週末をお過ごしくださいませ
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本日もお読みくださり、ありがとうございました。